病院の医療崩壊

  石井 暎禧 特定医療法人財団石心会理事長


 昨年九月に、病院代表として中医協委員になりました。今日の権丈先生をはじめとするみなさん方の議論に即して、今回の診療報酬の改定に参画したものとして、いくつかの問題を考えてみたいと思います。今日の皆さんの意見で共通するものは、日本の医療費は決して高いものではなく、国際的に見ても低いほうであり、これ以上日本の医療費を引き下げることは、問題解決にはならず、それどころか、現在起こっている「病院の医療崩壊」といわれるような様々な問題を悪化させることになると言うことでした。データとしては、すでに権丈先生や鈴木先生のスライドに出されている通りです。

その中で、大きく言って二つの問題があります。一つは総枠としての日本の医療費の問題です。現在日本の国民が必要と考え要望している水準の医療を実施していくためには、現在の医療費総額では足りないだろうという問題です。それでは医療費総額を増やせば医療のひずみは解決するかといえば、それだけでは解決できません。例えば鈴木先生のお話でも外来受診回数は世界的に見ても多いが、一回あたりの医療費は低い、当然診療時間は短くなっている。総額としては同じようだから良いではないかとは言えないのです。話をよく聞いてくれないなどと患者の満足度の低下の原因になります。

最近問題になっている医師不足を見てみますと、現在の医療をまかなっていくためには、医師が不足しています。しかし全体的に見ると、世界的に見て決定的にわが国で医師が不足しているため、医師の過重労働が発生し、病院崩壊となったとは言えない。むしろ急激な医師不足感は、地域的・専門分野別のアンバランスが原因です。
第二の点は、このような医療資源の配分に歪みの問題があり、これを是正することなしには、問題は解決できないだろうと思います。この点に関して、今春の診療報酬改定を素材にして、考えてみましょう。

今回の診療報酬はマイナス改定ということが、はじめから決まっていました。改定率は政府が決め、社会保障審議会が基本方針を決め、私が属している中医協が分配を決めるということでした。確かに法的に見ますと、その通りです。病院代表ですから、様々な病院の利害を代弁しなくてはならないのですが、元々実際のコスト以下に抑えられていた部分は、たとえ下がらなくても、不満があり、これまでは妥当あるいは有利だったところも、引き下げられるのですから、不満です。誰もが不満の改定ということになります。期待をもたれて登場した病院代表としては、はなはだ損な立場に置かれたことになります。

それでは改定が行われなければ良かったのかといえば、そうではありません。刻々変化している医療状況にあわせて診療報酬を決めなくては、現実に適合し得ないからです。とくに現場では、これまでの発言のような状況が生まれており、マイナス改定だからといって、見過ごすことのできない問題があり、これの手直しは絶対にやらなくてはならないからです。
産科・小児科・麻酔科の問題が、様々論じられていますが、私は臨床医としての現役の頃は、産科医だったので、それに触れておきましょう。産科について勝村さんが経験したような事例が発生するのは、医師個人の問題ではなく、システムに問題があります。私も20年前このような医療経済状況では産科診療を個人病院ではやっていけないと考え、産科を廃止しました。要求される医療の質とこれを可能にする医療体制が両立しないと考えたからです。分娩誘発剤使用についても、医師が楽をするためだとは言いきれない、少人数の医師により分娩を管理しようとすれば、医療安全上からも人手の多い時間に分娩させようとするため、別の危険を誘発することになります。小児科問題も同様です。開業医がプライマリーの救急から手を引くことによって、二次救急の医療機関が疲弊するといった問題を引き起こしています。現在はこのような矛盾がいっそう深まっていると思います。しかもこれまでのように個々の事例に則して医師の診療のあり方を問題にしていきますと、最近の「医療崩壊」で言われるような、医師の「立ち去り型サボタージュ」といったような事態を招き、問題を解決するための議論が、事態の悪化を招くという悪循環を起こします。勝村さんがシステムの問題として考え問題提起されているのは正しいのです。他方鈴木さんが言っている現場事情ももっともです。しかしこれは医師数を増やすことにより解決する面もありますが、すぐには間に合いませんし、それだけでは解決できない面の方が大きいと思います。

 診療報酬との関係で、現在の「医療崩壊」を考えますと、今回の診療報酬改定だけを取り上げても意味がありません。大きな改定なので、「これでは病院がつぶれる」という声もあるのですが、マイナス改定が直ちに病院倒産を引き起こすといったものではありません。一年や二年の赤字経営が直ちに倒産に結びつくとしたら、医療経営者の責任が問われます。今回の改定でつぶれる病院が出るとしたら、すでに傾きかけていた病院が、今回の改定で最後のとどめを刺されたということです。大きな医療経済の流れの中で病院医療はどうあるべきか、診療報酬を含めた医療政策が、国民のニーズに対応した医療を経済的に保証しているのかが問題です。その観点から、病院医療の現状を見ますと、長期的な病院経営の状況は危機的な局面に入ったとの指摘は根拠があると思います。医療崩壊といわれている問題は、医師・看護師とも、全国的に見ると、傾向的には増加しつつも、現実には不足が叫ばれています。病院は少々の赤字ではすぐには倒産しませんが、一人医者がやめるとつぶれると言われています。これは経営的に見ると正しい認識です。医師・看護師問題は経営的に見ると資金繰りと同様、待ったなしの問題だからです。

 これはまた、昨年から病院代表が中医協委員になったこととも関連しています。医療費を決める委員会に病院を代表する委員がいないのですから、入院医療の困難さが報酬に反映されるはずがありません。官僚が病院の経営状況に直接触れることができるのは公的病院だけですから、この経済危機は補助金・交付金でまかなわれてきましたので、入院医療は、せっぱ詰まった問題とは把握されなかったのです。ところが、公的病院の独立採算化・民営化の動きの中で、そうは言っていられなくなりました。病院医療の効率化(すなわち、労働強化と賃金の抑制)が進み、医師の逃散が起こり始めたのです。病院の医療崩壊という、最終段階として病院経営問題が本格的に登場したのです。長年の資源配分の格差が病院から診療所への医師の移動として顕在化し、病院にとっては、医療の継続が不可能になるという問題として、また開業医にとっては競争相手の増加の問題として、もはや病院と診療所の関係は、利益配分の駆け引きを超えた段階に入ったのです。システムの崩壊とは、関係者全ての利益が損なわれる段階です。これが、診療報酬改定における初診料問題にも反映しました。病院の外来診察料の引き下げを要求してきた医師会が、競争相手の診察料との一本化を初めて認めたのは、旧来のシステムがもはや対応しきれなくなった証拠でした。

日本の医療費問題は、GDPと医療費というだけでなく、介護問題との関係を含め、日本医療の全面的な再構成を抜きにしては語れない段階にあると言って良いでしょう。
                                    以上