小さすぎる政府の医療政策
講演の冒頭で、本日、これだけは伝えたいこととして、次のメッセージを伝えた。
医療をどうしても変えたいのであれば、雨が降ろうが槍が降ろうが、はたまた空からテポドンが降ってこようが、今日の医療崩壊に手を打とうとしない政党には拒否権を発動するしか方法はありません。今展開されているのは、教育改革と社会保険庁解体で、その背後にある組織を抵抗勢力に仕立てあげて来年の参議院選をなんとか乗り切ろうという安っぽい政治戦略のように、わたくしにはみえます。こういう安っぽい戦略に騙されて、来年7月の参議院選で、選挙当日に今日の医療崩壊を認めていない政党に思わず一票を投じないことです。与党であれ野党であれ、長年の医療費抑制のためにいろいろな面でおかしくなっている医療を直視しない政党を、他の理由ででも支持してしまったら、それで終わり。議員さんと握手をしたとか、息子の就職でお世話になったという理由で投票してもダメです。もちろん、お子さんの就職でお世話になるのは構わないと思います、無記名投票ですから(笑)。今日の医療問題に取り組もうとしない政党を選挙で支持をしていては、医療は変わりません。選挙の後に医療がどんなに酷い目にあったとしても、後の祭りというのが、間接民主主義というものなのです。
今年5月に上梓された小松秀樹氏の『医療崩壊――立ち去り型サボタージュとは何か』もひろく読まれているようであり、「医療崩壊」という言葉が、医療関係者、医療経済・政策研究者の間では定着しつつある。従来から、日本の医療費をせめてヨーロッパ標準に引き上げ、かつ開業医への医療費の偏在を改善すべきであるという論がこの国にはあり、わたくしもそのように言いつづけてきた。そして昨今、なぜ日本の医療費をヨーロッパ標準に引き上げる必要があり、病院診療所間の医療費の配分を改善しなければならないのかを、医療関係者や医療経済・政策研究者に説く時期ではなくなってきている。医療関係者、医療経済・政策研究者のほとんどが、医療費は引き上げるべきで、医療費の配分は是正すべきであるとの共通認識をいだくほどに、日本の医療はおかしくなってきている。そしてメディアも、ひとり日本経済新聞の最初の方の頁を除いては、新聞、テレビともに足並みがそろってきた。
となれば、今日、医療関係者、医療経済・政策研究者の間で論じ合うことは、いかにすれば、日本の医療を崩壊から守ることができるかというポイントに絞られることになる。答えは実にシンプルである――今の医療に不満をもつのであれば、選挙で与党に投票しない、すなわち、今日の医療崩壊に手を打とうとしない政党には拒否権を発動するしか方法はないということが、この講演のメイン・メッセージとなる。
医療費の水準、医療供給体制、医療消費者の費用負担のあり方などは、政治で決まっている。疑問をもつ人がいるかもしれないが、その人は医療経済学の学習が足りないだけであり、各国、政治が医療を決めていることは医療経済学のなかでは常識中の常識である。ゆえに、今日の医療に憤りを感じて、医療を変えたいというのであれば、政治を変えるしか方法はない。そして政治を変えるには、選挙で政治家に圧力をかけるしか術はないのである。

政治向きの話をすると、日本の医療は、これまで開業医グループと勤務医グループに分割されて統治されてきた。統治者からみれば、利害が異なるふたつのグループを反目させ競わせて、そして若干一方に肩入れしてあげることで統治する分割統治の方法ほどやりやすい体制はない。けれども最近、こうした統治体制に、若干のひびが入ってきているようにもみえる。開業医グループは、この国の長年にわたる医療費抑制政策のもとでも、みずからの所得を守るために勤務医グループに相当の無理を強いることに成功してきた。これは開業医個々の政治活動としてはきわめて合理的な行動である。ところがそうした開業医による政治活動の成功をマクロの観点からながめてみると、おかしなことになってくる。虐げられた勤務医が、病院を辞めて開業する傾向が強くではじめてきたのである。この傾向を、小松氏は『医療崩壊』のなかで「立ち去り型サボタージュ」と描写した。10年前まで、開業医の後継者不足が社会問題として論じられることはあっても、勤務医が開業医グループに流出することにより今までの開業医の前に競争相手が数多く出現していく現象などが論じられることはなかった。この10年で医療をとりまく環境は大きく転換した(他にどのような環境変化があったのかについては、勿凝学問48 なぜ医師不足が生じたのか?、勿凝学問51 自由、それとも無策――一県一医大構想、自由競争の帰結を参照)。もっとも、不足が生じれば価格があがるのも世の常であり、医師の市場も例外ではない。ゆえに、医師不足地域での医師給与の暴騰などが目につく現象として現れ、特にこれが、医師が勤務を避けたがる地方の自治体における財政問題として論じられたりもすることになる――他面、この現象が「医師は恵まれている論」の根拠となったりして、医療問題をややこしくすることもある。
さて、話をもとにもどす。医療は政治が決めているのであり、医療を変えるためには政治を変えなければならない。どのようにすれば変わるのか。そこで、現代の民主主義と選挙について押さえておかなければならないふたつの概念を説明しておきたい。ひとつは、「合理的無知」、いまひとつは、「争点の束」である。
合理的無知という概念は、次のように説明できる。
<政治の経済学>の世界では普通に用いられる用語である<〔有権者の〕合理的無知>という概念は、・・・次のように理解してもらえればよい。すなわち、<合理的無知>とは、野菜や果物の値段や、パソコンの価格を調べたり、すてきなデート・スポットを探したりというような日々の生活に有益な情報を得るために費やす時間やお金(コスト)を、公共政策をしっかりと評価するために要する時間やお金に回す気にはとてもなれないという<合理的な選択の結果としての無知>である。つまり、<合理的無知>は、無能だから無知なのではなく、忙しいから無知であるという意味をもつことになる。
もし、経済学が仮定するように、人びとは合理的経済人として行動するのであれば、多くの人が、合理的無知を選択することは、かなり当然のこととなる。仮に、日々の生活に有益な情報を得るのに費やしている時間やお金を犠牲にして、政策を評価するために、新聞の政治経済面や専門雑誌を毎日数時間読んだり、休日は図書館にこもったりするような生活をしたとしよう。ところが、選挙の際の彼の1票の重みは、投票した人たちのなかの1票分にすぎないのであるから、政策評価から得られる期待便益は、かぎりなく小さなものになる。そうであるのに、必ず見返りが見込める日々の生活情報を得るための時間やお金を、公共政策を理解するために費やす人というのは、政治がとても好きというような趣味をもっている人に限られることは、十分に予測できるのである〔権丈(2005)、p.32〕。
有権者は、公共政策については正確な知識をもっていないし、あまりもとうともしない。この条件を、政治を考えるうえでの前提に置かないことには、政治への読みを誤ることになる。
当然彼ら有権者は、医療についても正確な情報をもっていない。では有権者はどのような判断にもとづいて投票しているのであろうか。考えられることは、次の図に示すような民主主義モデルである。

このモデルでは、明確な当事者意識をもつ利害関係者、すなわちステイクホルダーたちが政治家に対してどれほどの票(direct votes)と資金(indirect votes)を供給することができるかという政治ベクトルの均衡として政策が形成されることを描いている。
ステイクホルダーは、自分たちに便益をもたらす政策を求めて、政治家を投票で支えるのみならず、彼らにキャンペーン資金を供給したり、自らが直接、キャンペーンを行ったりする。キャンペーンとは、当該政策にことさらに強く当事者意識をいだかない有権者の投票行動に影響を与えるための情報戦略である。ステイクホルダーや、ステイクホルダーに資金を供給された政治家は、有権者を対象としたキャンペーンを行って、ステイクホルダーに便益をもたらす政策の形成に努める政治家の得票率を高めようとする。
政治家は、次期選挙での得票率極大化行動をとっていると考えておけばいいであろう。政治家は、選挙で当選すれば高い地位と強い権力を手にすることができるが落選すればただの人となる、ハイリスク・ハイリターンの職業であり、選挙に勝つことに対してとにかく必死となる。彼ら政治家は、自分のもっている――時間と資金からなる――キャンペーン資源を、次期選挙で得票率を極大化できるように配分する。すなわち、彼らの政治活動は、それぞれの活動の限界得票率が均等化し、総得票率の極大化が保証されるかたちで展開される。
有権者は公共政策に関して合理的に行動するために合理的無知に陥いる傾向があるのだから、有権者がコストをかけずに入手可能な情報を彼ら有権者に提供するメディア、特に活字を読むことを有権者に強いないテレビを通じたキャンペーンの効果は絶大である。しかし他のステイクホルダー、たとえば医療政策に関しては、保険料の負担を極力低い水準に抑えたいと願っている経済界も医療関係者とは逆方向のベクトルをもつキャンペーンを張っている。ゆえに、ステイクホルダーたちが展開するキャンペーンは互いに相殺されてもおり、突出したキャンペーン効果を出すことは難しくなっている――もとより、今日ではキャンペーンを張らなければ決定的に不利にはなる。
こうしたメカニズムで現代の民主主義が動いていると考えて、おおよそ間違えはない。
多くの医療関係者は、医療政策を担当する政府、ときに厚生労働省は、医療の実態を知らないために今のような政策を展開しているのであり、彼ら政治家、官僚が現場の情報を正しくもつことができれば、医療政策は改善し、医療の現場がかかえる問題は解決するのではなかろうかと考えがちであるようにみえる。しかしながら、世の中それほど甘いものではない。「政策は、所詮、力が作るのであって、正しさが作るのではない」――これは、わたくしが長年言いつづけている言葉である。「政治」というものは「力」――ここでは政治家が追加的に投入した政治活動から得られる限界得票数の多寡――が動かしているのであり、そうした「力」が動かしている「政治」が、医療の有り様を決めているということを、医療関係者は理解しておいた方がよいかもしれない。
次に重要な概念は、「争点の束」である。これについては、次のふたつのスライドで説明しておく。


たとえば昨年2005年9月11日の郵政解散選挙では、自民党は圧倒的な勝利をおさめた。国民投票のような争点が一本である直接投票とは異なり、間接選挙というのは、本当は「争点の束」を競うべきものであり、実際のところ「争点の束」を競っているはずなのである。けれども、自民党は、「合理的無知」な有権者に向けた盛大なキャンペーンを張って、選挙を郵政民営化というシングル・イッシュー化することに成功して大勝した。そしてその時、おそらく多くの医療関係者も小泉政権を熱狂的に支持したと思う。けれども後に、彼ら医療関係者は、患者自己負担増、診療報酬の大幅引き下げという医療費抑制政策を飲まされて辛酸をなめさせられることになる。
そしていま、来年夏の参議院選挙をなんとか乗り切るために、郵政時の夢よもう一度といわんばかりに争点のシングル・イッシュー化が着々と進められているようにみえる。しかしながら、現在の医療に不満をもつ医療関係者たちが日本の医療を変えたいと思うのであれば、医療政策に対して消極的な政党に対しては投票して支持を表明してはならないのである。
この講演要旨は、70分間の講演内容の、ほんの枕の部分だけをピックアップしてまとめたものであるが、この要旨を終えるにあたり、講演の最後に話したことで結んでおこうと思う。
第3次ポエニ戦争前夜のBC150年頃、ローマの政治家大カトーは、元老院での演説のたびに「カルタゴ滅ぼさざるべからず」の言葉で演説を終えていたそうである。同じようにわたくしもいっておく。「今日の医療崩壊に手を打とうとしない政党には、次の選挙で拒否権を発動せざるべからず」。これしか方法はないでしょうね。
ご静聴、ありがとうございました。
参考文献
権丈善一(2006)『医療年金問題の考え方――再分配政策の政治経済学V』慶應義塾大学出版会
――――(2005)〔初版(2001)〕『再分配政策の政治経済学T――日本の社会保障と医療』慶應義塾大学出版会
――――(2004)『年金改革と積極的社会保障政策――再分配政策の政治経済学U』慶應義塾大学出版会
権丈ホームページ http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/