2004.11.6
11月3日・4日新潟県中越地震小千谷・川口調査報告
地域研究会事務局 若山宏
3日
12:00 萌気園大和通所介護「地蔵の湯」集合
黒岩医師・滝澤医師・井口看護師・支援学生(女子医大5年生2名)・秋岡・若山・現地案内の桐生工業の渡司・駒形の9名で調査隊結成。
現地、視察ルートを検討(写真04)。井口看護師は最近まで、震源地の川口で勤務していて、情報に詳しいとのこと。 地蔵の湯で昼食に魚沼のコシヒカリだと思うが美味しいご飯を頂いた。
13:00 駒形さんの運転で出発
一般車立ち入り禁止の、関越道小出インターより入る。至る所工事中で、 多数の作業員が働いていた。道路が波打ち状態の箇所が多数あり、片側2車線の中心線に左右の段差(亀裂)が走り深いところで50cm〜70m位(車中からの推測)あるなど地震の爪痕が至る所に見受けられた。
14:00
小千谷の総合体育館を視察。簡易トイレが多数あり、入り口を入るとまず相談所、医療相談、歯科医療等有り。希望物資渡し所もあった。黒岩医師はお年寄りに話を聞いていした(写真10)。テレビで見たとおり、体育館は雑然としていた。(写真07・08・09)そこを出発。市の中心、アーケードのある商店街は、かなりのダメージ。家には赤(取り壊し)・青(調査済み)・黄色(要注意)と確認済みの紙が貼ってある。その小千谷市内を通り一路川口町へ、国道17号は交互通行のためかなりの渋滞。
15:00
川口町の避難所特養あおりの里につく。井口看護師が情報を収集。責任者は物は足りているとの説明。自衛隊はかなり入っていた。(写真12・13・14)
孤立していた木沢地区へ。途中武道窪周辺は倒壊家屋が多数見かけられた。山道になるといたるここに亀裂・陥没。臨時の迂回路を経て現地到着。(写真20・21・22)その場にいた人に話を聞く。さらに待避所の本部へ。そこの区長さんにはたまたま黒岩さんの近くの知り合いの人が嫁にきていたのだった。それ故本音を聞けた。この地区は道路が寸断し、町と連絡が途絶え、3日位孤立し、地べたに寝て過ごした。今は小学校が開放されそこを避難場所にしている。自衛隊が食事や飲料水を運んでくれていて、風呂は長岡へ、民間バスで連れていってくれているとのこと。医療は千葉県の船橋市から医師と看護師がきてくれていた。今日で交代。明日は別の人がきてくれる予定とのこと。(写真23・24・25)
16:30 そこをあとにして来た道を戻り、武道窪のテントへ到着。日も暮れて暗闇になっていたが、集合所には電気がついていた。その先の集合所では、各自鍋を持ってきてご飯を入れてもらっていた。そこの責任者に聞いたのだが、医療は静岡県の医師団が入っていて、巡回に来てくれているとのこと。物資は充分あるといっていたが,私が最初のテントに戻って来たら、物資の配布中であった。人によっている物は違うという感じがした。(反省:必要なものは人によって違う)そこを最後に帰路についた。(写真26・27・28・29・30)
19:00 「地蔵の湯」で、明日同行する桑原さんを入れて反省会と明日の行動方針を決めた。 1人1人が今日の感想を述べた。 大きな避難所は行政で把握していて、医療も物資も豊富。個別テントを回ろうということになった。私たちが所持している物資のリストと、提供できる医療のリストを作り、避難者に提示するということを決めた。
滝澤医師から雪が降ってからの医療が心配。今日見た道路の復旧程度では除雪車が入れない。とすると孤立するのでないかという懸念を言われた。
明日8時出発。道案内の渡司と9時から9時30分で武道窪の今泉小学校で待ち合わせを決め本日は解散。(写真31・32・33)
4日
8:15 2台の車で、雨が強くなったり、弱くなったりの中を「地蔵の湯」を出発。 今日も小出インターから入る。雨の中をゆっくりと進行。川口インターを出る料金所で、震度5強の地震に出くわす。直ちに進入禁止の措置。もう少し遅いと関越に入れなかった。少しラッキー。待ち合わせの武道窪の小学校へ向かう途中、パトカーが走り、消防自動車が走るが、こちらの車は動かず。携帯で渡司さんへ連絡するもかからず。しばらくしたら車も動き、携帯もつながった。ぎりぎりの時間で待ち合わせ場所にて再会。
今泉小学校の避難所で、医療班に今の状況を滝澤医師が聞きに行く。それによると医療は静岡県から派遣の医師が担当し、医師・看護師等を含めて60名が入っていて、常設診療箇所と巡回医療を行っていると説明され、そこの担当医は滝澤さんの旧知の人であった。
そこでは、医療は充分足りていると判断されたようで、ともかく孤立していた地区へ行こうということで相川へ向かったが、途中で余震の影響と思われるが、警察官に通行を止められ、引き返した。普通なら適用除外車両なので行けるのだが、全てストップということであった。
次に対岸の田麦山を目指す。そこへ行き途中、余震と思われる崖崩れの小石が我が車両に当たった音がしたが、急いでその場を通り過ぎた。さっき崩れたかと思われる箇所を何度も目撃した。道路陥没の写真。(34・35)田無山の周辺を回り十日町市から国道117号線通って小千谷に入りそこから池野原を通って帰路についた。(写真36・37・38)池野原はビニールハウスに避難している人たちの処。
川口からインターに入り進行していると昨日は2車線の左側を最後まで走っていた道が、堀之内周辺だと思うが右側に入り又左側に戻った。多分余震で一部崩落があったのだと思う。よく観ると左側が崩れていた。
13:40無事に浦佐診療所に着く。黒岩医師が往診を途中で切り上げ待っていてくれた。そこで簡単なミーティングが行われた。結論は誰にでも明らかであった。
初期のサービスは医療を含めてほぼ行き届いている。ただ気になるのは、積雪後の避難民の生活・医療がどうなるのかということ。それはその後の行政の対応を見てから支援を検討するということで調査団の解散をした。